ここでは医療モデルとしての不妊治療ではなく、普通の社会の中で自分が実際に不妊治療を体験し、感じたことをナラティブ(語りとして)に、伝えたいと思う。
心理士として、心のケアを行い、心理的問題を研究することが自分のライフワークであった私が、突然、不妊症患者になった。主治医も看護師さんもみんないい人だった。でも、毎回、病院帰りは涙を流しながら車を運転して帰った。気がつくと、小学校の金網の前で泣いている自分がいた。楽しみにしていた運動会のお弁当作り・・・運動音痴だけど、子供の手を引いて一緒に走るのが夢だった。小さな小さな願いだったけど、私には叶わぬ夢だった。生活に無理が重なり、自営業を始めたばかりの私たちには金銭的にも体力的にも精神的にも、もう限界だった。夫婦、二人で決めた。「子供が出来ない」のではなく、「子供のいない人生」を選択しようと。神様がいたずらして、もし、こうのとりを私たちによこしたら、そのときはまた、その命を受け止めよう。
自分のそんな気持ちをどこにもいえず、発信することなく治療を受けていた日々が終わりを迎え、高度生殖医療というものに心のケアが必要であると認識した。それ以後、不妊症の女性とご夫婦の心理相談に力を入れている。日本では、夫婦と家族への心理支援が乏しい。ファミリーセラピストとして何ができるのか、自問自答が続いている。もっと、「子供を持つ、持たない、持てない」悩みにサポートが必要であると感じている。少子化問題や子育て支援はその先の延長線上に存在するものである。
今、医療モデルの中では疾病を「生物・心理・社会学的問題」としてもっと広義の問題として扱うことが多くなってきている。不妊治療はまさに、「子供ができない」という事実が身体的・心理的・社会的な問題と治療期間の長期化とあいまって、心理的葛藤が深刻化していくことがその辛さの原因である。身体的というのは、身体機能そのものにもとづくものであり、心理的というのは、プレッシャーやストレスからくる気分の落ち込みである。社会的というのは、家族や友人など、社会的に関係性を持った人々からの孤立であり、不妊であるということを話せない人から心理的に遠ざかってしまうものである。
不妊症であることは、恥ではないし、子供が生めないからといって社会的に役に立たないわけでもない。それがどうした、といきまいてみても、辛いのが不妊治療である。まずは孤独感から救われて欲しいと思う。そして、気持ちを吐き出し、誰かと一緒に過剰な期待にブレーキをかけて、今の大切な時間を楽しんでほしい。
不妊治療、その特徴的な心理的葛藤を理解してよりよい治療を受けて欲しいと願う。そして、治療を受ける期間、日常の何気ないご夫婦のドラマを大切にしてほしい。結末は誰にもわからないけれど、そのドラマはきっとパートナーとの大切な歴史になるはずだから。
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